40歳で現役続行を決意したPG阿部友和の覚悟:亡き母との約束に込めた想いとBリーグへの挑戦

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2025年12月29日、今年40歳を迎えたBリーグのポイントガード・阿部友和選手がSNSを通じて現役続行を宣言しました。

自由交渉選手リストに公示されたまま所属先が決まっていない中での決断は、多くのファンやバスケットボール関係者に大きな驚きと感動を与えています。

阿部選手は「プロとして挑戦を続けたい」という強い意思を胸に、亡き母との約束を果たすためにコートへ戻る決意をしました。

当記事では、彼のキャリア、決断の背景、今後の展望などについて深堀りします。

目次
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阿部友和選手とは?

阿部友和は福岡県出身のポイントガード。

182cm・80kgの身体を武器に、2008‑09シーズンにレラカムイ北海道(現レバンガ北海道)でプロキャリアをスタートさせました。

そこから千葉ジェッツ、富山グラウジーズ、ライジングゼファー福岡、そして昨シーズンはバンビシャス奈良といったクラブを渡り歩き、17年に及ぶプロ生活を積み重ねてきた経験豊富なベテランです。

Bリーグ公式データでも、阿部選手は複数クラブで長期にわたり活躍してきたことが確認できます。

ポイントガードとしての視野の広さとゲームメイク力は、年齢を重ねても色あせない武器です。

引用:B.LEAGUE

40歳での現役続行を決断した理由とは?

現役続行を決断した大きな理由は、2025年3月に亡くした母との約束でした。

阿部選手は幼い頃から苦しい時も支えてくれた母親と、「40歳まで現役をやりきる」という約束を交わしていたといいます。

この生前の約束を果たすため、どんな困難があっても挑戦を続ける決意をSNSで綴りました。

投稿では「カッコ悪くても、もがいてもがいて、プロバスケット選手を最後まで自分らしく120%でやりきりたい」と、自らの覚悟を言葉にしてファンに伝えています。

右膝の大怪我と空白の期間を越えて

阿部選手のここ数年は決して順風満帆ではありませんでした。

昨シーズン2月には右膝内側側副靱帯を損傷し、インジュアリーリスト入りするほどの怪我に見舞われました。

その後、4月28日には自由交渉選手リストに公示され、チームと契約できぬまま年を越す状況が続いていました。

多くのプロ選手が引退を考える年齢である40歳という節目を迎えながらも、怪我からの回復とブランクを乗り越えて現役続行を選んだことは、プロスポーツ界でも稀な挑戦と言えるでしょう。

※画像はイメージです。

今後の展望とファンへのメッセージ

阿部選手は現役続行を「今シーズン含め来シーズンの新しく始まるリーグまで」と期間を区切りながらも、再びプロとして挑戦していく意思を表明しました。

これは単なる延長ではなく、新しい環境への適応と可能性に賭けた決断でもあります。

ファンに向けたメッセージには、「プロとしての挑戦を続けていく」という熱い思いが込められています。

こうした姿勢は、同世代のアスリートや若手選手にも大きな刺激となるはずです。

ネット上での反応と声

ネット上では、阿部選手の現役続行宣言に対し、多くのファンや関係者がコメントを寄せています。

・「ここからもう1度挑戦する姿勢が格好いい!」

・「怪我からの復活、応援します!」

・「母への想いに胸が熱くなった。頑張って!」

といった声が相次いでおり、現役続行を応援するムードが広がっています。

特に同世代やバスケファンからは、阿部選手の“諦めない姿”に励まされたという声も多く、プロスポーツの醍醐味を改めて感じさせています。

まとめ

40歳という年齢で現役続行を選んだ阿部友和選手の決断は、多くの人に勇気を与えるものです。

母との約束、怪我との戦い、そしてプロとしての覚悟――これらがひとつになり、再びコートへと彼を駆り立てています。

これからの挑戦がどのような形になるかは未知数ですが、彼の姿勢は間違いなく多くの人に響くはずです。

次なるシーズンで見せる“120%のパフォーマンス”を期待したいです。

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この記事を書いた人

当サイトでは主に話題の時事ニュースを扱っています。

筆者は富山県出身&富山県在住。

Bリーグの富山グラウジーズを応援しています。

写真の撮影をしており、撮影の対象は選手やチア、綺麗な風景です。

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